日本に於ける “LiteFeet” の第一人者であり、本場NYでも屈指の実力者として知られる気鋭のダンサー “JUMI LITE” 。本場のオリジネイターらが所属する2つのトップクルー(BROTHERHOODとBrweckfastClub)に所属。日本では “XYZBOYZ” そして “LiteFeet Nation JAPAN” で活動し、日本でのLiteFeetを広めるべく活動中。更にはあのHIP HOPカルチャーに於ける最重要組織 “ZULU NATION” の数少ない日本人メンバーでもある。そんな彼にインタビューを実施。LiteFeetとは?どういった経緯で今に至るのか?等々。動画や写真を交えた彼の熱い思いが伝わるロングインタビューをCHECK!
ダンサーネーム: JUMI LITE
フィリピン出身, 神奈川在住
年齢: 28歳
ダンス歴: 10年
所属: XYZBOYZ/LiteFeet Nation JAPAN/BROTHERHOOD/BrweckfastClub/ZULU NATION
ダンスを始めたキッカケ: 18歳の頃「YOU GOT SERVED」のDVDを見て衝撃を受けて踊り始める。
ーまずLiteFeetというダンスは日本ではマイノリティージャンルであり、知らない人も多いのでどんなダンスなのか説明をお願いします。
LiteFeetは2005年頃にNYで生まれたダンスでありカルチャーです。「Harlem Shake」と兄弟的なダンスと言われています。本当はバトルやセッションがメインのダンススタイルなんですが、近年はNYの地下鉄でのゲリラ的なショーや、そういった模様をTVで取り上げられたりという事もあり、広がりを見せてます。また、ハットトリックとかシュートリックと言われる、スニーカーや帽子を使ったムーヴでも有名になってきましたね。
そもそも、LiteFeet [Lite=Light]で軽い、[Feet]は足、という名前の通り、主にステップ中心のジャンルなんですね。その足を使った格好いい技やトリックが決まった瞬間に、周りのみんなが同時に足を踏み鳴らしたり、踊っているその人の名前や所属しているクルー名をラップみたいな感じで節を付けて応援する「Hype」と呼ばれるみたいな独自の決まりごとがあったりします。そういう感じなので、LiteFeetは1人だけでは成立しない、複数人数が集まってみんなで踊って初めて成立するダンスであり、そういう部分が面白いところでもあります。NYの地下鉄のポールや、公演の鉄棒みたいに、その場所にあるものを活用したりするのも特徴ですね。最近では「America’s Got Talent」やMVだったら、Puff Daddy & The Family「Finna Get Loose ft. Pharrell Williams」なんかでも取り上げられてます。
LiteFeetって昔「Get Light」って呼ばれる事が多かったんです。けどそれは正式名称ではなくて「We get Light (Feet)」ライトフィートをやってるぜ!っていう動詞に近いもので、それが広まっちゃったんです。それに元々は「LiteFeet」ではなく「Light Feet」だったんです。なぜ「Get Light」から「LiteFeet」になったかというと、一つの代表的なステップの技の名前に「Get Light」というものがあるんです。ダンスジャンルとしての名称が「Get Light」だと、1つのステップのみがダンスジャンルだと勘違いされかねない、と考えてオリジネーターであるボス達がこの「LiteFeet」という表記で統一したんです。それが2010年くらいの出来事ですね。
この「LiteFeet」は「Chicken Noodle Soup」や「Tone Whop」あと「5000」など、ニューヨークのステップダンス(ダンスミュージック含む)との関係性が深いんです。2005年、「Tone Whop」という曲のプロモーションの映像をバスケットコートで撮影する事になったんですが、その時に集められたダンサーを中心に「Team Light Feet」という「LiteFeet」の初代のチームが結成されたんです。そこで踊られていたのが今に繋がる初期の「LiteFeet」だったんです。「LiteFeet」自体が音源が無くても掛け声(Hype)とクラップだけで踊れてしまうストリート色の強いダンスなので、そういった掛け声やクラップといった要素も上記の楽曲に色濃く反映されています。ダンス的には、「LiteFeet」が進化していくにつれ、タットだったりブレイキンのパワームーブだったり色んな要素がミックスされて現在のようなスタイルになっています。
ー「LiteFeet」のセッションやバトルの空気感って独特ですね。少し「KRUMP」にも近いものを感じます。
そもそも「LiteFeet」はみんなが「Hype」を始めてそこから踊り始める訳ですが、最後にしっかり技を決めてみんなで足を踏み鳴らして一緒に終わる、というそこまでがセットなんです。一人で踊って一人で完結できる訳ではないので、それが独特なものに感じる所以なのかなと思います。「KRUMP」とは近いものがあるんですが「LiteFeet」はバトルであっても敵・味方関係なくみんな応援するんですよ。勝敗も大事なんだけど、そのバトルが「良いバトル」になること、良いダンスの応酬になること、そういった事の方が大事なので、どういったバトルカードであれ関係なくその場のみんながバトルをする人達をどちらも応援するんです。だから、一際ポジティブなエナジーで溢れているのが「LiteFeet」の特徴ですね。まあ、リアルな話、ブラックカルチャーなので、全く知らない白人がサイファーに出てきたとしたら、さすがに「ん?」ってなると思うけど、カルチャーに愛があれば、ダンスに愛があれば、他ジャンルのダンサーだったとしても、その人の名前が分かれば「Hype」してくれるのが「LiteFeet」の魅力ですね。
ー「LiteFeet」は誰が作ったダンスなんですか?
主に2人います。一人はフロアー技やジャンプして膝から落ちるなどの「パワームーブ」の代表格で、名前が「Mr.YouTube」っていう人ですね。名前がちょっと面白いんですが、なぜこの名前になったのかというと、「自分はLiteFeetのテクニックの多くをクリエイトするにあたってYouTubeから沢山インスピレーションを得たんだ。だから俺は胸を張って言う、俺の名前はMr.YouTubeだ」って自身が言ったその日からこの名前になったんです。小柄なんですが筋肉質で、大柄なダンサーに負けないくらいスケールの大きなダンスをする人で、色んなパワームーブを作った張本人ですね。もう一人が、「Chry Baby Cozy(クライベイビーコージー)」です。この人は小さい頃太ってる事でいじめられってたんです。けど、この「LiteFeet」をクリエイトすることで自信を持つ事ができて自分の名前を敢えて「クライベイビー」としたんです。この人は上半身やアイソレーションを中心としたスタイルをクリエイトしていった1人で、「BAD ONE」という「LiteFeet」の上半身のスタイルを作った人ですね。
▼赤の上下のダンサーが”Mr.YouTube”
▼”Chry Baby Cozy”
ーHIP HOPとLiteFeetの違いを教えてください。
まず、そもそも「違うもの」では無いんです。今の時代の「HIP HOPダンス」というのはNYでは「LiteFeet」なんですよ。TEENSがHIP HOPをやりたいって言って踊るのは「LiteFeet」だし、HIP HOPトラックを作るってなっても「LiteFeet」のような曲調なんですよね。やはりTEENSがリアルだと思うんです。彼らは自分たちで曲を作り、着るものもカスタムして、新しい動きもクリエイトし、みんながいるセッションに行く。こうやってカルチャーが発展していっているのを見ると、紛れもなくこれはNYの現行の『HIP HOP』だなと感じます。だからHIP HOPと言うと本来的には70~80年代に形作られた「BREAKING」と、80年代後半から90年代以降のMOP TOPS周辺が形作った「HIP HOP」を指すと思うんですが、「HIP HOP」と「LiteFeet」は「別モノ」なのではなく、同じNYで生まれ現在NYの黒人のTEENSがリアルに取り組み楽しんでいる「LiteFeet」が現在の「HIP HOP」なんです。
ーそんなLiteFeetですが、JUMI LITEさんがLiteFeetを知ったのは何がキッカケだったのですか?
自分は「YOU GOT SERVED」を見てダンスを始めて、そこに出てくるようなヒップホップのスタイルを追求していて、やがてそういったスタイルがシーンにある程度浸透していった時に、「ああ、流行ってしまった…」っていう感覚が芽生えてきて、みんながやってない新しいものをやりたい!って思ってた時期に、YouTubeで変わった動画を発見したんです。2010年初頭の話です。ハーレムシェイクのようなんだけどちょっと違っていて、それに凄く心を惹かれたんですよね。「これは何なんだ?!」って思って。後にXYZBOYZとなるKEN-TAとAZSAに見せた時に自分と同じ感想で、「これは何だ!?ヤバいね!」って事になって。そして関連動画を調べていったら、何やらニューエラやスニーカーを使ってトリックしてるし、黒人が踊ってる人を取り囲んでセッションしてるし、何か掛け声を上げながら、最後に同じタイミングで足を踏み鳴らしているし…一体これは何だ!?って見ていたのが、結局「LiteFeet」だったんです。そこからまずその3人で見よう見まねで振りを作ってみて「渋谷eggman」でショーをしたんです。
その時、反応は全く無かったですね。もちろん「LiteFeet」はみんな知らないし、「HEY! HEY!」「Get Lite」みたいに掛け声とか上げてても「何なの?」って感じでしたし、ハーレムシェイクも入れてましたがそれも時代遅れな捉えられ方されていたと思いますしね。それが「XYZBOYZ」の始まりです。けど、その初めて作ったショーの映像を「YouTube」にアップしたら(今その動画はありません)、一ヶ月後くらいに「Mr.YouTube」「Chry Baby Cozy」の2人から「君たちやってるの!?最高じゃん!」「NYに来るべきだよ!」って感じコメントが来たんです!動画で見ていたヒーローからコメントが来たわけだから、もう嬉しかったですね!行くしか無い!って思って、一年懸けてお金を貯めて2011年にニューヨークに初めて行く事になりました。
ーその1度目の渡米で上手く彼らと繋がることはできたんですか?
ニューヨークに行って、彼らに会えたんですね。その時に「ダンスをまず見せてみろ」って言われたんです。当時「LiteFeet」のセッションは白人すら入った事のない領域だったので、アジア人にとってはもちろん超アウェイな訳で。セッションの会場のドアをガチャっと開けた瞬間のみんなのこちらを見る目が凄く怖かったですからね。「なんだよ、このアジア人!?」「ボスと一緒に入ってくるとか、どういうことだよ!?」みたいな感じで。その場所でMr.YouTubeに「まずはみんなに認めてもらう為に踊れ!」って言われたんです。その時は僕らまだまだスキルが追いついては無かったんですけど、「LiteFeet」に懸ける想いは物凄く強かったんです。僕らもうそれしか無かったんでガムシャラに踊りました。10分くらい踊り続けたと思います。ネタやって3人でソロを回してひたすらフリースタイルしてって感じで、できないけどシュートリックして(笑)、とにかく好きな気持ちが伝わればと思いながら踊ったんです。そうやって踊っていたら険しい顔から段々変わってきて、それこそ「Hype」してもらえるようになって。踊ってる時に「名前は?」って聞かれて「JUMI」と答えたら名前で「Hype」してもらえて。最後にはボスが笑顔で「よくやった!」って抱きしめてくれたんです。「正直スキルはまだまだだけど、このLiteFeetというカルチャーを君たちに分け与える為に、俺のクルー『BROTHERHOOD』の日本支部『BROTHERHOOD JAPAN』の名前をまず最初にあげるよ。その代わり約束してくれ。君たちは日本に帰ったら必ずこのカルチャーを日本に根づかせてくれ!」て言われて、『BROTHERHOOD JAPAN』を授かったんです。これが最初の渡米でした。
ーいきなり暖簾分けを許されたんですね!展開が早いですがどう感じましたか?
僕らもいきなりで驚いたんですが、単純にそう言ってもらえて嬉しかったですね。自分たちもこれに懸けてたんで。プレッシャーもありましたが頑張ろうって思いました。
ー2013年には「BROTHERHOOD」「BrweckfastClub」から公式に活動するための資格を得て「LiteFeet Nation JAPAN」を結成されたそうですが、その経緯はどういったものだったんですか?
2011年の渡米後、日本に帰って「LiteFeet」をレペゼンしていく訳ですが、そこから1年位は凄く反応は薄くて辛い時期が続きました。ただ、僕ら諦めたくなかったので、それでも数多くショーに出て、2012年、この「LiteFeet」をとにかくショーに出て表現し続けたんです。そしたら渋谷規模、東京規模、横浜規模くらいのものですが、少しずつ僕ら「XYZBOYZ」を通して知って貰えるようになってきたんです。そんな中、進化したシーンを感じる為、そして進化した自分たちを試す為に、2013年、再びニューヨークに行きました。最初の渡米から2年。この間に自分達のレベルは少しは上がっていて、出来なかった技も、出来なかったノリも身につける事ができていて、向こうの人達とちゃんとセッションが出来るレベルまでに成長できていたんです。ニューヨークでは何度もセッションに参加したんですが、色んな発見があり渡米している間に凄くレベルアップができたんです。もうすぐ日本に帰るというタイミングで、「BrweckfastClub」のセッションに誘われたんです。そこで「BrweckfastClub」に加入する事ができたんです。つまり「LiteFeet」の創始者2人に認められた事になるんです。そしてその時に、今後も「LiteFeet」を広めていって欲しいという期待を込めて「LiteFeet」の公式活動の資格を頂いたんです。それはしっかりとした賞状として頂いたんですが、それを用意してくれたのが「Dr. Rich」という人なんです。この人は「LiteFeet」のコミュニティーを仕切っている重要人物で、ZULU NATIONのメンバーでもある人なんです。昔B-BOYだった人ですね。
ーZULU NATIONに加入されてますが、その経緯を教えてください。
2014年終盤、アフリカバンバータに直接表彰されてZULE NATIONに入る事になったんです。直接あのネックレスを首にかけてもらって。NIKEがスポンサードしていたイベント中だったんですけど、そこでアフリカバンバータ自身が僕のことを紹介してくれたんです。「彼は実は日本から来た僕らの兄弟だ。BREAKINGはBRONXから発祥しているダンスだけども、現在のBREAKINGにあたるLiteFeetを日本に運び、そして若いダンサーに成長する場所を提供しているのは彼なんだ。だから彼は今日からZULU NATION YOUTH LEADERSHIPの配属で讃えたいと思います。」って紹介してくれたんです。そのYOUTH LEADERSHIPの僕の上のポジションの方が「Dr. Rich」なんです。この人はこの地域で若くして父親や母親になってしまった人達に対してのエデュケーションシステムなどでサポートしているような立派な人ですね。
ーアメリカのTV番組など向こうのメディアにも幾つか出演されたそうですね。
そうなんです。初めてアメリカのTV番組に出演したのは2013年でした。当時、ニューヨークの地下鉄のパフォーマンスがメディアに取り上げられるブームみたいなのがあったんですよ。ニュース番組で取り上げられたり、アーティストがミュージックビデオを作るロケーションもNYの地下鉄、みたいな感じで。その時期に自分も地下鉄やタイムズスクエアやら色んな場所で踊ってたんですが、ある日、ニュース番組制作関係者からメールが届いてたんです。「LiteFeet」を初めて日本人でやっているんですよね?是非ドキュメンタリーを撮りたいんですがいかがですか?」というもので、そのドキュメンタリーは実現しました。放送されたのは僕らが日本に帰ってからでしたけどね。ミュージックビデオにも出させてもらいました。それは2015年で「XYZBOYZ」での出演でした。その頃は、僕らは「LiteFeet」のシーンに於いて実力も認められていたので、僕らの存在というのが、「LiteFeet」の音楽を作っている「DJ Webstar」「Young B」といったアーティストも知ってくれるようになっていて、2015年渡米前にその2人から出演オファーが来たんです。「LiteFeetカルチャーをレペゼンするような新しい曲を作るんだ!だから君たちに是非出演して欲しいんだ!」って。本当夢みたいでした!ずっと聴いてきたアーティストでしたから。
ーLITEFEET NATION JAPANとは、どういった活動をされているんですか?
発足したのは2013年なんですが、本格的な活動を始めたのは2014年です。活動としては、「LiteFeet Battle Championships」というバトルシステムを作って、このバトルでチャンピオンになったらオフィシャルの「LITEFEET NATION JAPAN」メンバーになれるという取り組みをしています。最初にやり始めてから2~3年経って少しずつメンバーが増えていってる状況です。千葉、長野、新潟、福岡や秋田など、各地域でバトルをして代表を決めてが年に一度集まってチャンピオンを決める、という感じですね。あと日本中で僕がワークショップをしたりしてます。おかげさまで、今、日本で「LiteFeet」をやっている子は100人を超えました。キッズも多いです。ちなみにニューヨークではTEENSが多いですね。NYでは「LiteFeet」ダンサーはおそらく1000人くらいいると思います。
ー今後、どういった活動をしていきたいですか?
日本でより広めていくために、新しく「LiteFeet」に触れる人を増やすべく、コレオグラフ系のコンテストに出場する等、色んな人達を巻き込んでいける場に貪欲にどんどん出ていこうと思っています。そういう活動が今後のカルチャーの発展に繋がっていくと思うので。その他色々活動はしていくので、良かったら僕達のWEBサイトをチェックして頂けると幸いです。
ー1/9(月・祝)大阪で開催される「LOUD MINORITY」に出演されますが、意気込みをお願いします。
今回はソロなんですが、僕のダンスでみんながクラップしたくなるような、掛け声を上げたくなるような、そんなダンスをしたいし見せたいですね!僕、結構ショー中に喋るんですよ(笑)。自分で掛け声とか上げちゃって盛り上げちゃうという。だからそういうのも込みで見に来た人には楽しんでいただけたらなと思います!