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フランスのヒップホップ&ハウスダンスの第一人者の一人であり、現在もシーンの中心で活躍し続けている重要人物「JOSEPH GO」。そんな彼に自身の歴史や、フランスのシーンについて、また、現在取り組んでいる「AFRO HOUSE」というダンスについて等、多岐に渡りインタビュー。ニュースクールダンサー必読。


ーまずは自己紹介をお願いします。
Joseph Goです。1975年7月3日、パリ生まれ。ダンスを始めた頃、サイファーなどでイケイケだったので、名前に『Go』をつけてます。パリで生まれ育ちましたが、ここ1年は、チェコ人の彼女のYanca(ヨンシャ)と一緒にチェコのプラハに住んでいます。1988年(13歳の時)から踊ってますね。かれこれ27年経ちました。ジャンルは、HIP HOP、HOUSE、AFRO、TAPを主に踊っています。そして最近はAFRO HOUSE(アンゴラのスタイル)にも挑戦しています。所属チームは『O’trip House』と『The One Connection』です。『O’trip House』は、Meechが発起人となり、結成。そして、『The One Connection』ではYancaとともにAFRO HOUSEの普及を目的として結成しました。2000年に『Kafig』というカンパニーに参加したのを切っ掛けに、プロダンサーになりました。現在は、色々なイベントに参加するとともに、『The One Connection』としての活動も多くなってます。


ーダンスにおけるポリシー、何に重きをおいて踊っていますか?
コミュニケーションですね。自分は性格的に人見知りなところがあるのですが、ダンスは体を動かして人と交流が出来るので素晴らしいなと思っています。ダンスは、言葉や言語と似ているところがあり、コミュニケーションツールですね。また、ダンスは良薬のような側面も持っていると思います。どんな問題や心配事を抱えていても、一度踊り出せば、忘れることができます。そして、みんなと喜びを分かち合うことができます。ジャンルなどは関係なく、パーティーなどで音がかかれば何でも踊ります。音楽で踊ると、たとえ歌詞がわからなくても、その音楽を理解できるとも思います。だから、色んな音で踊ることには意義があると思うんです。


ーダンスを始めたキッカケを教えて下さい。またどういったダンサーに影響を受けましたか?
まず、兄からの影響が大きいです。彼は、ダンサーであり、趣味でDJをやったりしていました。当時流行っていたのがNEW JACK SWINGで、よく兄と聴いたり踊ったりしていました。環境的に自然な流れでしたね。そして、音があれば勝手に踊っていたのですが、真面目にダンスに取り組もうと思わせる出会いがありました。1980年代後半、兄はパリでHIP HOPのイベントをよく開催していたこともあり、様々なラッパー、アーティストと交流が持てました。そんな時、「ABS」というパリ郊外のグループの一人を見て、真面目に打ち込むきっかけとなりました。また、様々な出会いが、私のダンスに影響を与えています。ワークショップで出会う子供などからもヒントをもらう事だってあります。


ーダンスを始めた当時のフランスのダンスシーンはどういう感じでしたか?
きっかけの話に繋がりますが、私が始めた頃はNEW JACK SWINGが全盛期でした。フランスではNEW JACK SWINGの事を『HYPE(ハイプ)』と呼んでいましたね。何故だか知りませんが、その当時はNEW JACK SWINGという単語はフランス中に知られてなかったと思います。そういえば、Walidも『Ô POSSE』というチームでNEW JACK SWINGを踊っていましたね。


ーハウスとの出会い、そして『O’trip House』の結成時の背景を詳しく教えてください。
まず、フランスにハウスをもたらしたのは、1998年、「Regis」と「Tamaki」によるものでした。そして、パリの『Smoking et Brillantine』というダンス学校で交流会があり、そこで初めて私は「Regis」に出会いました。そして、そこで初めてハウスダンスに出会いました。『O’trip House』は、「Meech」が中心となり結成されました。その前に「Meech」との出会いについて話したいと思います。1990年代半ば頃、地域の家庭などに問題がある少年たちの面倒を見る仕事をしていました。1994年終わり頃に出会った13歳の少年が「Meech」でした。ダンスをとても熱心に練習する少年で、あっという間に上手くなっていきました。そして、2003年に、そんな「Meech」が言い出し、フランスのトップハウスダンサーたちを集め結成。フランスを含め、ヨーロッパに正しくハウスの文化を定着させようという気概の元、結成されました。裏話として、当時、「Yugson」「Babson」も誘われてました。活動としては、舞台やショーなどもありますが、一般の人も来るようなディスカッションなども行っています。正しく歴史や文化を伝えていくことが目的ですね。


ーフランスのヒップホップダンスシーンの変遷を教えてください。
年代によって音楽の流れが変わっていくことが大きく関係しています。細かい技術を説明するのは大変ですが、例えばB-BOYのシーンで説明するとわかりやすいかもしれないです。
80年代はウィンドミルとバックスピンの時代。
90年代はトーマス。
00年代はエアフレア。
そして現在は全てを通して踊る時代。
この変化はフランスのヒップホップシーンでも言えると思います。革命の連続ですね。そして、音楽の変化も著しく、その時代の音楽の変化ごとに活躍するダンサーが出てきたりしますね。音の変革によって、アメリカでは「Style Elements Crew」が90年代後半に時代の寵児的存在になりましたよね。フランスもBREAKINGとSMARFの80年代から始まり、革命の連続でした。それからNEW JACK SWINGが流行り、HIP HOPが形成され、HOUSEが90年代後半に伝来などなど。それぞれを知った上で変化についていく必要がありますね。


ーフランスを始めとしてヨーロッパのダンスシーンは急成長を見せています。その要因として色々あると思いますが、重要な要因を教えて下さい。
それは、パリのダンサーを中心として、強い個性を活かすのが得意だからかもしれません。それはクリエイティビティを考えた上でとても重要だと思います。フランス人は向上心がとても強いと思います。それが自信につながるとも思っています。


ーフランスに於けるヒップホップシーンで問題だなと感じることは何ですか?
先ほどのフランス人の良いところは、反転、ネガティブさも持っています。根拠のない自信などからくる「おごり」は良くないところかもしれませんね。


ー日本のダンスシーン、ダンサーをどう見ていますか?
日本人の印象は、思慮深く、ちゃんと物事を聞くところですね。今回、ワークショップをやらせてもらいました。ワークショップのスタジオに早く着いたので、通常のレッスン風景を見ることができました。そこで、日常の精神性を垣間見れた気がします。先生の言うことを注意深く理解しようとしてました。また、他を尊重する心、努力することに関して、日本人はとても優れていると感じます。一般的に物足りない点としては、個性が弱いところですね。ベーシックを理解してから、そこに自分のものを上乗せする必要があると思います。日本にも、「YOSHIE」「KITE」「TATSUO」「HIRO」「GUCCHON」達のように、個性を出すという面で素晴らしいダンサーがいるので、見習って欲しいと思います。HIP HOPでも、「MAIKA」「KYOKA」「MIHO」のように、革命を起こし、個性豊かなダンサーがいますね。是非、影響を受けてみてはどうでしょうか。


ー以下の動画を拝見しました。AFRO HOUSEは興味深いです。詳しく教えてください。

この動画は、2014年にポルトガルで撮影したものです。
彼女の「Yanca」とともに『The One Connection』というチームを結成し、アンゴラ(アフリカ南部の国)のスタイルの「AFRO HOUSE」を踊っています。2004年、チェコにワークショップをした時に彼女と出会いました。それから8年後の2012年、彼女とパリで運命的に再会し、AFRO HOUSEの話で盛り上がり、チームを結成しました。その精神性は「O’trip House」に似ていて、アフロダンスを正しく認識してもらいたいという願いがあります。アフロダンスにも各国の違いがあり、主にセネガル、コートジボワール、アンゴラの踊りが混同して知られてしまっている背景があり、それを正しい道に導きたいのです。

アンゴラには『強い腰』を意味する『Kuduro(クドゥル)』という踊りがあり、速いステップが特徴です。それを生かし、アンゴラ独自のハウスミュージックと融合させ、踊っています。なので、ハウスダンスとアフロハウスダンスは全く違うものなのです。80年代後半に出来たアンゴラの音楽のスタイルと、ハウスミュージックが、2000年頃に融合しました。それは、隣国の南アフリカにハウスミュージックが出来た時代に相当します。当時のアンゴラの戦争を歌った80年代とは変わり、現在ではとてもポップな歌詞になっています。その音楽で踊っています。

あと、この動画をポルトガルで撮ったことにも意味があります。ポルトガルはアンゴラの宗主国でした。アンゴラではポルトガル語が話され、ポルトガルにはアンゴラ系移民が多く住んでいます。すなわち、ポルトガルはアンゴラ文化の交差点であり、ヨーロッパに対しアンゴラ文化を発信するにはうってつけの場所です。ここで、ポルトガルで同じアンゴラスタイルのAFRO HOUSEを踊る『Afro Panico』を紹介させてください。彼らはアンゴラ系ポルトガル人で、近々一緒にアンゴラに行くことが決まりました。

Yancaと一緒に、アンゴラスタイルのAFRO HOUSEがヒップホップカルチャーに融合できるものと確信し、活動しています。アフリカのエナジーが、日本でも正しく伝わるといいなと思ってます。グルーブ、腰、ステップが重要です。


ーダンスを踊る上で大切にしている事はなんですか?
とにかく音楽や文化を知り、ベーシックをリスペクトし、自分なりに踊ることですね。


ー世界のストリートダンスシーンがより発展していく上で必要だと感じることは何ですか?
皆がこれをしてくれたら発展すると思います。
①旅すること
②その文化を知ること
③強く願うこと


ー今回のJAPAN DANCE DELIGHTで審査員目線でなく感じた事があれば聞かせてください。
参加者の皆の感情が爆発していました。泣くほど努力を重ねていたことが痛いほど分かりました。感動しました。また、新しい世代の台頭が見れました。しかしその中で、私ら世代のおじさんパワーで「GLASS HOPPER」が優勝しました。若い者には負けない、譲らない意地も感じられて嬉しかったです。日本は良い方向に進んでいると確信できました。


ー日本のダンサーにメッセージを
やりたいことをやって、自分の夢に向かって進んでください。日本の文化は豊かだから、それに誇りを持ってください。自分の『個性』に自信を持ってください。そして常に楽しんで!!

ーありがとうございました!